2025年9月1日、日本経済界に激震が走った。サントリーホールディングスの新浪剛史会長(66歳)が突如として辞任を発表したのだ。ローソン再生の立役者として、そしてサントリーを世界的企業に押し上げた経営者として知られる新浪氏。経済同友会代表幹事として、政府の経済財政諮問会議の民間議員として、まさに日本経済の舵取り役として活躍していた人物の突然の退場は、各界に大きな波紋を投げかけている。
2025年9月2日午後、サントリーホールディングスが開いた緊急記者会見。鳥井信宏社長と山田賢治副社長が神妙な面持ちで発表したのは、新浪剛史会長の辞任という予想外のニュースだった。
サントリーHDの発表によると、新浪氏は8月22日に「警察による捜査が行われた」と会社に報告。適法と認識していたサプリメントの購入に関して捜査を受けたとして、「会社グループに多大なるご迷惑をお掛けすることを避けるため」に辞表を提出したという。
この突然の展開に、株式市場をはじめ経済界全体に動揺が広がっている。新浪氏は単なる一企業の経営者ではなく、経済同友会代表幹事として、政府の経済財政諮問会議の民間議員として、日本の経済政策に直接的な影響力を持つ人物だったからだ。

新浪剛史氏の人生は、横浜港の荒波とともに始まった。父親は横浜港で荷揚げをする荷役会社を経営しており、当時の横浜港は「荒くれ者が集まる場」として知られていた。喧嘩が日常茶飯事のような環境で育った新浪少年は、「怖がるどころか、声を出して笑っていた」と報道されている。
この幼少期の経験について、新浪氏は後に「海の男の血」が自らのビジネスパーソンとしての「源流」だと語っている。荒々しい港湾労働者たちを束ねる父親の姿を見て育ったことが、後の経営者としての胆力と人間力の基礎を築いたのかもしれない。父親は京浜港運取締役会会長まで務めた人物で、新浪氏のビジネスに対する嗅覚は、この家庭環境で培われた部分も大きいだろう。
新浪氏の学生時代は、まさに文武両道の典型だった。横浜市立三ツ沢小学校、横浜市立松本中学校を経て、神奈川県のトップクラス進学校である横浜翠嵐高等学校に進学。興味深いのは、この翠嵐高校が自宅から「歩いて3分」という立地にあったことだ。
中学時代からバスケットボールに熱中し、規則正しい生活を送っていた新浪氏は、朝4時から5時に起きて3時間勉強し、午後は部活動に打ち込む生活を続けた。この規則正しい生活のおかげで成績がめきめき上がり、クラスで1番を取るようになったという。
高校時代もバスケットボール部で活躍し、神奈川県トップクラスの実力を誇った翠嵐高校バスケ部は関東大会で3位入賞。新浪氏は国体の代表選手にも選ばれた。ただし、練習中の怪我で左腕を複雑骨折し、4回の膝の手術を受けるなど、スポーツ選手としての道は険しいものだった。
慶應義塾大学経済学部に進学した新浪氏は、3年生の時にスタンフォード大学に交換留学。国際経済を専攻し、約1年弱で単位を取得してトランスファーすることで、1年遅れることなく1981年3月に慶應を卒業した。この経験が、後の国際的な視野を持った経営者としての基礎を築いたことは間違いない。
1981年4月、新浪氏は三菱商事に入社し、砂糖部海外チームに配属された。商社マンとしてのキャリアをスタートさせた新浪氏にとって、この時代は後の経営者人生の基礎を築く重要な期間だった。
三菱商事でのキャリアの中で特筆すべきは、1991年のハーバード大学経営大学院でのMBA取得だ。「with distinction」という優秀な成績での修了は、新浪氏の知的能力の高さを物語っている。帰国後はソデックスコーポレーションの代表取締役に就任し、早くも経営者としての経験を積み始めた。
2000年代に入ると、新浪氏は三菱商事内でローソン関連の業務を担当するようになる。当時のローソンは業績不振に苦しんでおり、親会社である三菱商事にとって頭痛の種だった。この時期の経験が、後のローソン社長就任への布石となったのである。
2002年5月、新浪氏の人生最大の転機が訪れた。43歳という若さでローソンの代表取締役社長兼CEOに就任したのである。この大抜擢は、当時の業界関係者に大きな衝撃を与えた。
新浪氏がローソンの舵を取った2002年当時、同社は深刻な業績不振に陥っていた。セブン-イレブンとの競争で後塵を拝し、店舗展開も頭打ち状態。コンビニエンスストア業界では「三位転落」の危機すら囁かれていた。
しかし、新浪氏は就任早々から大胆な改革に着手した。その改革の柱となったのが以下の施策だった:
新浪氏の改革は見事に実を結んだ。ローソンは新浪体制下で10期連続の増収増益を達成し、株価も就任時から3倍に上昇。デフレ経済の中での快進撃は、「新浪マジック」として業界内外から注目を集めた。
特に印象的だったのは、新浪氏の「権限委譲経営」の徹底だった。従来のトップダウン型の経営から脱却し、現場のスタッフや加盟店オーナーに大幅な権限を委譲。この結果、各店舗が地域性を活かした独自の取り組みを展開できるようになり、顧客満足度の向上につながった。

2011年1月、新浪氏は後継社長として玉塚元一氏を起用すると発表した。この人事について新浪氏は次のように語っている:
2014年、新浪氏は12年間にわたるローソンでの経営を終え、次なるステージへと向かった。ローソンを業界トップクラスの企業に押し上げた実績は、新浪氏を「プロ経営者」として広く認知させることになったのである。

2014年8月、新浪氏は新たな挑戦の舞台としてサントリーホールディングスの顧問に就任。同年10月には、創業家以外で初めてサントリーホールディングスの代表取締役社長(President and CEO)に就任した。この人事は、老舗企業サントリーの大きな転換点となった。
新浪氏のサントリー社長就任は、同社史上最大のM&Aプロジェクトと密接に関わっていた。2014年1月、サントリーは米国の酒造メーカー「ビーム社」を約1兆6000億円で買収すると発表。この買収金額は、当時のサントリーの年間売上高を上回る巨額なものだった。
買収完了から5カ月後に社長に就任した新浪氏にとって、ビーム社との統合は最初で最大の試練だった。日本企業による海外企業買収の多くが失敗に終わる中、新浪氏は慎重かつ大胆な統合戦略を展開した。

ビーム社との統合作業は決して順調ではなかった。文化の違い、経営手法の相違、そして何より「買収された側」の心理的な抵抗など、数々の困難が新浪氏の前に立ちはだかった。
しかし、新浪氏は持前のリーダーシップと国際的な視野を活かし、段階的な統合を進めた。特に重視したのは以下の3つの改革だった:
新浪氏の経営手腕は見事に実を結んだ。サントリーでの就任10年間で、同社は以下の驚異的な成長を遂げた:
特に海外売上比率の向上は、サントリーの国際企業としての地位を決定づけた。ビーム買収によって獲得した米国市場での基盤を活かし、日本の「山崎」「白州」などのウイスキーブランドも世界的な評価を獲得するようになった。
2025年4月には代表取締役会長(Chairman and CEO)に就任し、サントリーの更なる成長を牽引する立場にあったが、同年9月の突然の辞任により、その手腕を発揮する機会は奪われることとなった。
新浪氏の影響力は、単なる企業経営者の枠を大きく超えていた。2023年4月に就任した経済同友会代表幹事として、また長年にわたって務めてきた政府の経済財政諮問会議の民間議員として、日本の経済政策に直接的な影響を与える存在だったのである。
新浪氏は安倍政権、菅政権、岸田政権と、3代の政権にわたって経済財政諮問会議の民間議員を務めてきた。この継続性は、政治的な立場を超えた新浪氏の経済政策への見識と影響力を物語っている。
経済財政諮問会議は、総理大臣が議長を務める日本の経済財政政策の司令塔的存在だ。経済界からはわずか2名しか民間議員に選ばれない中で、新浪氏は歴代最長となる期間この重要なポストを務めてきた。

新浪氏の活動範囲は国内にとどまらない。以下のような国際機関でも重要な役割を果たしてきた:
新浪氏は「物言う経営者」として知られ、その発言は常に注目を集めてきた。時には大きな議論を呼ぶこともあったが、それは日本社会の課題に対する問題提起でもあった。
2021年9月、経済同友会の夏季セミナーで新浪氏が発した「45歳定年制」という言葉は、日本社会に大きな波紋を投げかけた。新型コロナウイルス感染拡大後の新たな成長のためには活発な人材流動が必要との考えから生まれた提言だったが、SNSなどで激しい批判を浴びることとなった。
この発言の背景には、日本の労働市場の流動性の低さに対する新浪氏の危機感があった。終身雇用制度の見直しや、より柔軟なキャリア選択を可能にする社会システムの構築を訴える意図があったが、言葉の選択が適切ではなかったことは新浪氏自身も認めることとなった。

2023年9月、ジャニーズ事務所の性的虐待問題が大きな社会問題となる中、新浪氏は経済同友会の記者会見で企業の責任について言及した。
この発言は、企業の社会的責任(CSR)の観点から、ジャニーズ事務所のガバナンス問題を指摘したものだった。経済界のリーダーとして、社会問題に対して明確な立場を示す新浪氏の姿勢が表れた発言として注目を集めた。
マイナンバーカードを巡る様々な問題が発生する中、新浪氏は一貫して政府のデジタル化政策を支持する立場を取った。特に健康保険証の廃止について「納期」という言葉を使って政府を支援する発言を行い、SNSで批判を浴びることもあった。
この発言に対してはSNSで「サントリー不買運動」というハッシュタグを付けた投稿が相次ぐなど、激しい反発を招いた。しかし、新浪氏は日本のデジタル化の遅れに対する危機感から、政府の取り組みを支援する姿勢を崩さなかった。
新浪氏は日本経済の構造的な問題についても積極的に発言してきた。2022年の朝日新聞のインタビューでは、円安の根本的な原因について以下のような分析を示した:
また、企業の内部留保問題についても厳しい指摘を行った:
公の場では常に厳格で理知的な印象を与える新浪氏だが、プライベートな側面については多くが謎に包まれている。これまでの報道から判明している情報をまとめてみよう。
新浪氏の私生活については、一部で「離婚歴3回、結婚は4回」という報道があるが、詳細は明らかになっていない。現在は結婚していないとされているが、子供が2人いるという情報もある。ただし、これらの情報の真偽のほどは定かではない。
確実に分かっているのは、弟が東京女子医科大学心臓血管外科教授の新浪博士氏であることだ。兄弟揃って各分野のトップリーダーとなっているこの事実は、新浪家の教育方針や家庭環境の優秀さを物語っている。
2024年11月の日経新聞女性版のインタビューで、新浪氏は興味深いエピソードを披露している。妻から「性格が変わったわね」と言われたという話だ。
その背景には、経営者として様々な経験を積む中で、人に感化されやすい自分の性格に気づいたことがあるという。「人に感化されてばかりで『自分がないのかなと思った』こともあった」と率直に語っている。これは、新浪氏の人間性の一面を垣間見せるエピソードとして注目される。
新浪氏のスポーツに対する情熱は、学生時代から一貫している。バスケットボールで国体代表にまで選ばれた実力は、単なる趣味の域を超えていた。現在でもスポーツ観戦を楽しんでおり、特にバスケットボールには特別な思い入れがあるとされる。
経営者として多忙を極める新浪氏だが、読書家としても知られている。特に経済書や経営書だけでなく、歴史書や文学作品も愛読するという。ハーバード大学でMBAを取得した知的バックグラウンドが、現在でも旺盛な学習意欲として表れているようだ。
新浪氏に対する評価は、業界や立場によって様々だが、その経営手腕については概ね高く評価されている。特に「プロ経営者」という称号は、新浪氏の代名詞となっている。
新浪氏の最大の特徴は、異なる業界での成功を重ねてきたことだ。コンビニエンスストア業界のローソンでは12年連続増収増益、酒類業界のサントリーでは10年で売上2倍という実績は、業界を問わない経営力の証明と評価されている。
経営手法としては以下の点が特に評価されている:
一方で、新浪氏に対する批判的な見方も存在する。主な批判点は以下の通りだ:
国際的には、新浪氏は「日本を代表するビジネスリーダー」として認知されている。World Economic ForumやCouncil on Foreign Affairsなど、影響力のある国際機関での活動は、新浪氏の国際的な地位を物語っている。

新浪氏の突然の辞任は、単に一企業の問題にとどまらない。日本経済全体に与える影響は、短期的にも長期的にも深刻なものとなりそうだ。
まず直接的な影響を受けるのは、サントリーホールディングスだ。創業家以外で初めて同社のトップに就任し、グローバル企業への転換を主導してきた新浪氏の突然の退場は、同社の成長戦略に大きな見直しを迫ることになるだろう。
特に懸念されるのは以下の点だ:
経済同友会代表幹事という重要なポストも同時に失うことになるため、日本の経済界全体への影響も無視できない。新浪氏は単なる一企業の経営者ではなく、日本の経済政策に直接的な影響を与える存在だったからだ。
特に以下の分野での影響が懸念される:
辞任発表直後の株式市場では、サントリーの親会社である非上場企業への直接的な影響は限定的だったものの、関連企業や競合他社の株価には動揺が見られた。投資家の間では、「日本企業のガバナンス問題」に対する懸念が改めて高まっている。
新浪氏という強力なリーダーを失った日本経済界は、今後どのような方向に向かうのだろうか。この突然の変化が日本経済に与える長期的な影響を考察してみよう。
サントリーホールディングスは、新浪氏の後任人事を早急に決定する必要がある。鳥井信宏社長が当面の経営を担うことになるが、長期的には創業家出身者が再びトップに就く可能性もある。
重要なのは、新浪氏が築き上げたグローバル戦略を継承できるかどうかだ。ビーム買収による海外売上比率60%という実績を維持・発展させていくには、国際的な視野を持った経営者が必要不可欠だろう。
新浪氏が担ってきた経済界でのリーダーシップを誰が引き継ぐかも注目される。経済同友会代表幹事の後任人事、経済財政諮問会議の民間議員の交代など、重要なポストの人事が相次ぐことになる。
考えられる後継候補としては以下のような人物が挙げられる:
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今回の件を受けて、日本企業のガバナンス強化が改めて注目されるだろう。特に以下の点での改革が急務となる:
66歳という年齢を考えると、新浪氏にとって今回の辞任は事実上の「引退」を意味する可能性が高い。ただし、その豊富な経験と人脈を活かして、アドバイザーやコンサルタントとしての活動を続ける可能性はある。
また、学術分野への参入や、後進の育成に力を注ぐという選択肢もあるだろう。いずれにせよ、新浪氏が築き上げてきた実績と知見は、日本経済界にとって貴重な財産であることに変わりはない。
新浪剛史氏の突然の辞任は、確実に一つの時代の終わりを告げている。ローソン再生から始まり、サントリーのグローバル企業への変身、そして日本経済政策への直接的な関与まで、新浪氏が日本経済界に与えた影響は計り知れない。
「海の男の血」を受け継ぐ少年として横浜で育ち、慶應義塾大学からハーバード大学へと学びの場を広げ、三菱商事で商社マンとしての基礎を築いた新浪氏。43歳でローソンの社長に抜擢されてからの快進撃は、まさに「プロ経営者」の真骨頂だった。
サントリーでの10年間では、1兆6000億円という巨額買収を成功に導き、同社を真のグローバル企業に押し上げた。その手腕は国内外で高く評価され、World Economic Forumをはじめとする国際機関でも重要な役割を担った。
「45歳定年制」発言やジャニーズ問題への言及など、時には激しい議論を巻き起こした新浪氏の発言も、日本社会の構造的な問題に対する鋭い問題提起だった。賛否両論はあったものの、その発言力と影響力は、日本経済界において他に類を見ないものだった。
今回の突然の辞任により、日本経済界は強力なリーダーを失った。しかし、新浪氏が残した実績と理念は、後継者たちによって受け継がれていくだろう。重要なのは、新浪氏が体現してきた「国際的な視野を持った経営」「現場重視の権限委譲」「社会的な課題への積極的な関与」といった姿勢を、日本の経営者たちがいかに継承していくかだ。
新浪剛史という一人の経営者の退場は、確かに日本経済界にとって大きな損失だ。しかし、それは同時に、新しい世代のリーダーたちが台頭する機会でもある。ポスト新浪時代の日本経済界が、どのような新たな価値を創造していくか。その答えは、これからの数年間で明らかになるだろう。
新浪剛史氏の功績は、一企業の成功にとどまらない。日本経済の国際競争力向上、企業ガバナンスの強化、そして経済政策への民間の声の反映など、その影響は多岐にわたる。今回の辞任劇は残念な結果となったが、新浪氏が築き上げてきた基盤の上に、日本経済の新たな発展が期待されるのである。

